ブックタイトル未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

地現寺の米蔵宇う田たの郷ごう地ち区くに地じ現げん寺じという字あざ名めいがあり、その一角備そなえました。るもの)を供きょう出しゅつさせるなどの措そ置ちを断だん行こうして非ひ常じょう時じにもの(年ねん貢ぐ以い外がいのもので半はん官かん半はん民みんの所しょ有ゆう管かん理りにかかわ導どうしたり、また裕ゆう福ふくな農家に対しては「社会米」なるました。「モミ」のまま長期にわたり貯ちょ蔵ぞうする方ほう法ほうを指し生する不ふ作さくに備そなえて、藩はんではいろいろな準じゅん備びをしてい年。イナゴの害がいを主な原げん因いんとする)以い来らい、周しゅう期き的てきに発これより五十年前に起こった享きょう保ほうの飢き饉きん(一七三二ます。世にいう天明の大だい飢き饉きんです。の栄えい養よう失しっ調ちょにうよる死者が相当な数、出たと言われていり、野や菜さい、草木までが腐くさり、この地方でも飢うえが原げん因いん半年にわたり、全ぜん国こく的てきに雨が降ふり続つづき、米麦はもとよ天てん明めい三年(一七八三)、この年は異い常じょう気き象しょでう早春から地じ現げん寺じの米こめ蔵ぐら備そえなていたので助かった〔資料提供堀伝吉氏〕ができたと言われています。(一八三三~三六)でも被ひ害がいを最さい小しょう限げんにとどめることような施し策さくにより、それから五十年後の天てん保ぽうの飢き饉きんの飢うえを救すくうのにとても役立ちました。そしてこの天明の大だい飢き饉きんの時にも、この米こめ蔵ぐらの貯ちょ蔵ぞう米まいが領りょう民みんす。りしていたそうで海路萩はぎ城じょへう輸ゆ送そうした分け与えたり、また必ひつ要ように応おうじて領りょう民みんに米を一時貯ちょ蔵ぞうして、の奥おく地ちから運ばれたがあって、福ふく賀がなどそこには昔、米こめ蔵ぐら地ちがあります。に御お蔵くら地じという平へい坦たん98