ブックタイトル未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

興昌寺と芭蕉の碑力強い様式を作り上彫ちょう刻こく家かで、写しゃ実じつ的てきで運うん慶けい(鎌かま倉くら初しょ期きの境けい内だいにある山門と寺号を興こう昌しょう寺じと改あらめたました。(一五八三)五月五日新しん築ちくし、同十五年(一五八七)にの永よう明めい寺じ六代日にっ峰ぽう和お尚しょうを招まねいて開山し、天てん正しょう十一年尼に仏ぶつ)を移い転てん、寺じ堂どうを創そう立りつし、石いわ見みの国くに鹿かの足あし郡ぐん津つ和わ野の村むら村むらに寺院がなかったので開かい基きの地とし、本ほん尊ぞん(釈しゃ迦か牟む榎えの本もと織おり江えはその頃ころ、宇う田た村むらを領りょう地ちとしており、宇う田た毛もう利りの直じき参さん榎えの本もと織おり江えの創そう建けんとされています。興こう昌しょう寺じは曹そう洞とう宗しゅう龍りゅう洞どう山ざんと号し、天てん正しょう十年(一五八二)、興こう昌しょう寺じと芭ば蕉しょのう碑ひ由ゆい緒しょあるお寺安あ土づ・ち桃もも山やま時じ代だい創そう建けんの〔資料提供堀伝吉氏〕道改かいし修ゅう工事の際さい、興こう昌しょう寺じ境けい内だいに移うつされました。この句く碑ひは、元は宇う田た浦うらの西にし目めにありましたが、県と詠よんだと、村の人々の語り草として伝つたえられています。「うたがふな潮うしのお花も浦うらの春」に感動して寄より、運よく大おお敷しき網あみの飛とび魚に出会い、その壮そう観かんさまた、俳はい人じん松まつ尾お芭ば蕉しょがう諸しょ国こく行あん脚ぎゃの時、この地に立ち境けい内だいにある観かん音のん堂どうに安あん置ちされています。トル)くらいの高さで、一いっし尺ゃく(約やく三十センチメーこの観かん世ぜ音おん菩ぼ薩さつ像ぞうは名です。観かん世ぜ音おん菩ぼ薩さつ像ぞうはともに有作と言われている如にょ意い輪りんの彫ちょう刻こく界かいを支し配はいした)のげ、その系けい統とうは鎌かま倉くら時じ代だい100