ブックタイトル未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

御山神社と蹄の跡跡あとが現げん在ざいも御お山やまと平ひら原ばらの来られた時の神しん馬めの蹄ひづめの神しん霊れいがひと飛とびに移うつってまた紀き伊い熊くま野のの宮からものと言われています。名は御お山やま神じん社じゃに関かん係けいする善ぜん仏ふつ畑ばた、け千せん主じ坊ぼうなどの地勢せヶが台だい、蔵くら屋や敷しき、別べっ所しょ、尾お無なし(御おん那な智ち)、御お伊いわいます。より多くの参さん詣けい人にんでにぎの日の祭りには近きん郷ごう近きん在ざいおり、毎年旧きゅう暦れき十月の亥い神様として広く知られて往おう時じは「雨あま熊ぐま十じゅう二に社しゃ大だい権ごん現げん社しゃ」ととなえられ、農業の氏しの崇すう敬けいを得えて順じゅん次じ社しゃ殿でんを再さい建けんし現げん在ざいに至いたっています。寄き進しんして本宮のみ再さい建けんしました。それ以い来らい、代々児こ玉だま(一六三三)に惣そう郷ごうの領りょう主しゅ児こ玉だま淡あわ路じ元もと恒つねが社しゃ領りょう十石を〔資料提供堀伝吉氏〕とがうかがえます。これらの出土品により平安時代末まっ期きの創そう建けんであるこ博はく物ぶつ館かんに保ほ存ぞんされています。文ぶん化か財ざいに指定されています。出土品は山口県立山口代頃ごろに作られた経きょう塚づかの特とく徴ちょをうよく示しめしていて山口県のめ、塚つかを築きずいたもので、この御お山やま神じん社じゃの経きょう塚づかは平安時後世に伝つたえるため、経きょう典てんを経きょう筒づつなどに入れて地中に埋う短たん剣けん、墨ぼく書しょ法ほ華け経きょ、う基き台だいなどが出土しました。経きょう塚づかは発見され、中から銅どう経きょう筒づつ、銅どう鏡きょ、う青せい白はく磁じ合ごう子す、短刀、下の土中より平安時代末まっ期き頃ごろのものと思われる経きょう塚づかが昭和四十九年(一九七四)、社しゃ務む所しょ横よこの椎しいの大木のをしのぶことができます。上かみ屋や敷しきにそれぞれ残のこっており、苔こけむす岩に昔せき日じつの面おも影かげ103