ブックタイトル未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

白須たたら製鉄遺跡長なが門と市し黄き波わ戸ど)で砂さ鉄てつが採とれることを発見し、伊い勢せ屋や萩はぎの町人の伊い勢せ屋や惣そう兵べ衛えと尾お崎ざき吉きち兵べ衛えが、境さかい川がわ(今のと北きた浦うら各かく地ちを調べたことから始まりました。調ちょう査さではここでの製せい鉄てつは、萩はぎ藩はんが「砂さ鉄てつが採とれる所はないか」製せい鉄てつ所じょの遺い跡せきが残のこっています。鉄を作っていました。白しら須ず川がわの谷の近くには、そのわずか数年間ですが、という製せい鉄てつ所じょがあり、する「白しら須ずたたら」の終わりに藩はんが経けい営えいふもとには、江え戸ど時じ代だい惣そう郷ごう村むらの白しら須ず山やまの白しら須ずたたら製せい鉄てつ遺い跡せき製せい鉄てつ所じょがあった白しら須ず山やのまふもとに〔参考資料『阿武町史』〕の終わりに製せい鉄てつが行われていたことを伝つたえています。が採とれた神しん宮ぐう山やま、合わせて三つの遺い跡せきがあり、江え戸ど時じ代だい惣そう郷ごう村むらには他にも八はち幡まん平びらたたら、小こ六ろくたたらと砂さ鉄てつ休きゅう憩けい所じょも整えられていました。よう、いつも全体を見み張はっており、所内には事じ務む所しょやました。村むら下げと呼よばれる責せき任にん者しゃは、火事やけがのないはじめ」「いち、に、さん」と声をかけ合って行ってい員二人、箕みを持つ炭すみ焼やき係の二人がそれぞれ「よーい、特とくに鉄を吹ふく時には、防ぼう熱ねつ壁へきと天てん秤びんふいごを踏ふむ作業鉄池などがあり、みんな力を合わせて働はたいらていました。製せい鉄てつ所じょには、大おお鍛か冶じ屋やはもちろん炭すみ窯がま、鉄を冷ひやすました。そして、白しら須ずたたらで鉄に加か工こうされたのです。の浜はまに運ばれ、さらに陸りくの道を通って白しら須ず山やまへ運ばれの長なが門と市し油ゆ谷や町ちょ)うで採とれた砂さ鉄てつといっしょに舟ふねで惣そう郷ごう境さかい川がわの砂さ鉄てつは、阿あ川がわ(今の下しもの関せき市し豊ほう北ほく町ちょ)うや伊い上がみ(今は製せいてつじょ鉄所の運うん営えいも藩はんから任まかされるようになりました。106