ブックタイトル未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

惣郷川橋梁ができるまで宇う田た郷ごうの惣そう郷ごう川がわ(白しら須ず川がわ)河か口こう付ふ近きんに架かかる惣そう郷ごう川がわ橋きょうりょう梁は、長さ一八九メートル、海面からの高さ約やく一一メートルの、とても美しい鉄道橋です。でも、橋の工事は大たいへん変でした。潮しおかぜ風に強く、錆さびない橋にするため、柱と梁はりをしっかりと結けつごう合し、その骨ほね組ぐみだけで強度を保たもつ「鉄てっきん筋コンクリート四柱ラーメン構こうぞう造」で造つくられましたが、これは、その頃ころの鉄道橋としては珍めずしらい工事でした。工事は昭和六年(一九三一)五月に始まりましたが、九月の暴ぼうふう風雨うにそれまでに造つくっていた部分を壊こわされたり、冬になると、「やれんのう、体が飛とばされそうになるのう」という強風の中で、寒さに震ふるえながら進められました。しかも珍めずしらい工事のため、難むずしかいことがたくさんありました。特とくに柱の下の方の生コンクリートの突つき固かためは断だんめん面がとても小さく、大人の手ではうまくいきませんでした。そこで何人かの器き用ようそうな子どもを集めて「こうやってていねいに、きれいに仕上げるんじゃ」とやり方を教え、繰くり返し練習させてから、柱の下で作業をさせました。子どもたちは小さな手で一いっ生しょう懸けん命めいに、そして楽しそうに生コンクリートを固かためました。橋は昭和七年(一九三二)八月に完かんせい成し、これによって翌よくとし年二月に山さんいん陰本線は全線開通しました。あの子どもたちは「ぼくらぁも、あの橋を造つくるんを手て伝つだったんよ」と、誇ほこらしげに橋を見上げたといいます。〔参考資料松嶋健太/土木遺産の香第53回『日本海に映える惣郷川橋梁』小野田滋/土木紀行『屹立するコンクリートラーメン山陰本線・惣郷川橋梁』〕惣そう郷ごう川がわ橋きょうりょう梁ができるまで子どもも作業して完かんせい成させた鉄道橋107