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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

天神様鳥居の石額のいわれ西村家は東京に移い住じゅしう、天あま津つ(西の一)に建たてられ歳さいの時に書かれて奉ほう納のうされたものだそうです。書道、絵画、俳はい句くに秀ひいで、「菅すが原わら社しゃ」の文字はわずか五大だい臣じん・伊い藤とう博ひろ文ぶみ公こうに勧すすめられて国こっ会かい議ぎ員いんになりました。県けん会かい議ぎ員いん、奈な古ご村長を務つとめ、三十余よ歳さいの時、初しょ代だい総そう理り西村禮れい作さく氏しは奈な古ご(西の一)の生まれで、見み島しま郡ぐんの文字が見えます。これは西村禮れい作さく氏しが書いたものです。天神様の鳥とり居いには石の額がくがかかっていて、「菅すが原わら社しゃ」は「天神様」と呼よばれて親しまれてきました。「山やま城しろ国北野より勧かんじ請ょうと申し伝つたう」とあります。地元で原わら道みち真ざねをまつった神じん社じゃです。『寺社由来』によりますと、東方にある菅すが原わら神じん社じゃは学問の神様として知られる菅すが天てん神じん様さま鳥とり居いの石せき額がくのいわれ五歳さい児じの書が額がにく末すはえ博はか士せか大臣じかん。ます。が、禮れい作さく氏した立りっ派ぱな別べ〔資料提供西村信海氏〕の「菅すが原わら社しゃ」はふるさとを見守り続つづけていっ荘そうや三百坪つぼの豪ごう壮そうな屋や敷しきも今はありません27