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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

長門巡礼道中鑑并歌翌よく年とし、この巡じゅん礼れいのことは『長なが門との国くに巡じゅん礼れい三さん十じゅう三さん観かん音のん旅で使うお金を出してもらったのでしょう。門もんも誘さそって三人で出かけたのです。おそらく横よこ屋やにはの秋あき枝えだ常じょう無むに声をかけ、萩はぎ呉ご服ふく町まちの町人・横よこ屋や伊い右え衛三十三ヶ所をお参まいりをしましょう」と、宇う生ぶ賀か(福ふく賀が)太たい用よう寺じ二世住じゅう職しょくの大だい極ごく竜りゅう道どうが行いました。「長なが門との国くにの最さい初しょの長なが門と巡じゅん礼れいは、宝ほう永えい二年(一七〇五)に福ふく賀がの場じょ三う十三ヶ所の巡じゅん礼れいは「長なが門と巡じゅん礼れい」と呼よばれました。長なが門との国くに(今の山口県)内で行われる長なが門との国くに観かん音のん菩ぼ薩さつ礼れい寺を順じゅん番ばんに巡めぐってお参まいりする「巡じゅん礼れい」が流行しました。地ちそれぞれに三十三ヶ所の霊れい場じょがうできると、それらの江え戸ど時じ代だいの中頃ごろ、観かん音のん様さまへの信しん仰こうが広まり、全国各かく長なが門と巡じゅん礼れい道どうち中ゅう鑑かがみ并あわ歌せうた和わ歌か付つきガイドブック巡じゅん礼れにい活用された着くまでの九十七里(約やく三八八キロメートル)の旅の巡じゅん礼れいの最さい後ごにまた萩はぎに戻もどって玉たま江え浦うらの潮ちょう音おん山ざん観かん音のん院いんにし、自分たちも巡じゅん礼れいに行きたいと思いました。本には、りゃあ、藩はん主しゅ様さまの御お国くに廻めぐり行こう程てい記きと同じじゃ」と感心三十三ヶ所を右みぎ廻まわりで進んでお参まいりしちょる」「こ札ふだ所しょの萩はぎの日にち輪りん山ざん南なん明みょう寺じから始まって、長なが門との国くにう本が作られました。この本を読んだ人々は「第だい一いち番ばんそこで数年後に改あらめたて『長なが門と巡じゅん礼れい道どうち中ゅう鑑かがみ并あわ歌せうた』とい本でした。は難むずかしく、読みづらい文体だったので人々に単たんに書きましたが、漢尊そん像ぞうや観かん音のん縁えん起ぎ等なども簡かんお寺が大切にしている順じゅやん距きょ離り、お寺の由来、が各かく札ふだ所しょの番ばん号ごう順じゅんに道みちした。享こう徳とく寺じ雲うん外がい和お尚しょう記き』という本になりま34