ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

伊能忠敬の阿武測量と木与の棚田その測そく量りょう中ちゅ、う最さい初しょに伊い能のうが阿あ武ぶへやって来たのは文ぶんい、見事な地図を完かん成せいさせました。の測そく量りょはう文ぶん化か二年(一八〇五)から数回にわたって行れたのは、五十六歳さいの時でした。防ぼう長ちょう二国(今の山口県)に学んで幕ばく府ふに認みとめられ、全国を測そく量りょすうるよう命じら勉強したことを生かして地図を作ってみたい」と熱ねっ心しん「年を取って学び始めたことを、お国に役立たせたい。五十歳さいになって天文学や天てん体たい観かん測そくの勉強を始めました。伊い能のう忠ただ敬たかは上かず総さの国くに(今の千葉県)の商人でしたが、の大きさを測はかり、図に書いて仕上げていったのです。とでした。伊い能のう忠ただ敬たかという測そく量りょう家かが全国を歩いて土地日本で初はじめて地図が作られたのは江え戸ど時じ代だい末まっ期きのこ伊い能のう忠ただ敬たかの阿あ武ぶ測そくり量ょうと木き与よの棚たな田だ遺のしこてくれたもの有名な測そく量りょう家かがです。阿あ武ぶに着く直前の四月には赤あか間まが関せき(今の下しもの関せき市し)ずっと続つづけているうちに伊い能のうは疲つかれ切ってしまったのり返していました。それは体も頭も使う大たい変へんな仕事で、を歩いて測そくり量ょうし、図に書いて幕ばく府ふに提てい出しゅすつる作業を繰く測そくり量ょうはそれより数年前から始まっており、伊い能のうは各かく地ち萩はぎから奈な古ごへ、くたくたに疲つかれて到とう着ちゃしくました。全国化か三年(一八〇六)六月のことで、測そく量りょう隊たいを連つれて36