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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

伊能忠敬の阿武測量と木与の棚田「段だん々だん畑ばたけを水田に変かえることは、畑ばたのけことが気になっていたので、益ます田だは前々から海のそばの段だん々だん益ます田だ富とみ五ご郎ろうと親しい仲なかでした。の権ごん九く郎ろうがいて、木き与よの領りょう主しゅのこのときの測そく量りょう隊たいには萩はぎ藩はん士しり終えたのです。その他の島々の測そく量りょうを無ぶ事じにや小こ島じま、平ひら島しま、中なか島しまの計十五もの島、ひつ島、男お鹿が島しま、尾お島しま、大おお島しま、野の島しま、宇う田た島しま、姫ひめ島しま、進みました。伊い能のうは、鯖さば島しま、羽は島じま、肥ひ島じま、見み島しま、相あい島しま、人々のそうした心づかいに励はげまされて、作業は順じゅん調ちょうにこれ気を配って測そく量りょう隊たい一行をもてなしました。地元の「いなか料りょう理りがお口にあやぁ、ええんですが」と、あれて「ゆっくり疲つかれをとって、良よい仕事をしてください」は座ざ敷しきや風ふ呂ろ場ばを修しゅう理りして整え、ごちそうを用意しそんな伊い能のうを地元の人々は温かく迎むかえました。宿でで休きゅう養ようし、萩はぎでは医者に診みてもらったほどでした。〔資料提供『阿武町史』〕感かん謝しゃしました。のおかげじゃね」と、人々は改あらめたて伊い能のう忠ただ敬たかの測そくり量ょうにしは豊ゆたかになりました。「世界でも有名な伊い能のう様の働はたきら畑ばたがけ、たくさん米のとれる田に変かわって、木き与よの暮くらが完かん成せいしたのです。わずかな作物しかできなかった段だん々だんら、伊い能のうの設せっ計けい図ずをもとに約やく十ヘクタールの新しい田しかし、それから何十年も後の明めい治じ時じ代だいに入ってか事はできませんでした。大だい感かん激げきしましたが、資し金きんなどの都合がつかず、結けっ局きょく工は「これをもとに水田を作れば、人々は楽になる」とて、段だん々だん畑ばたけを水田にする設せっ計けい図ずを作りました。益ます田だ口、水路、水田開発、排はい水すい放出口まで詳くわしい測そくり量ょうを行っから」とこの願ねがいを快こころくよ引き受け、湧ゆう水すい地ちからの取とり入いれは「奈な古ごや木き与よの皆みなさんにはお世話になっているのだと水の流れの調ちょう査さを伊い能のうに頼たのんでもらいました。伊い能のうできないだろうか」と権ごん九く郎ろうに相談し、段だん々だん畑ばたのけ測そく量りょう37