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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

真名井神社について記き録ろくを集めてまと金を出しあって、ちや氏うじ子こたちがお中心に地ち域いきの人たの総そう代だいさんたちを名な井い神じん社じゃでは当時ました。そこで真ま廃はい止したり、ほかといっしょにしたりすることになりが出て、神じん社じゃの歴れき史しを書いた記き録ろくなどがない神じん社じゃはさて、明めい治じ三十九年(一九〇六)に山口県から命めい令れい話も数ある神様の恵めぐみの一いち例れいとして伝つたえられています。ですくってお祈いのりするとよく出るようになったというと願がんをかけて、社しゃ殿でんの後ろの洞どう穴けつから湧わき出る水を手母ぼ乳にゅうの出が悪いお母さんが「お乳ちちが出ますように」石せき碑ひに残のこっています。このことは「天てん保ぽう壬じん申しん十二月山やま本もと羽う左ざ右エえ門もん」とう喜よろびこ、今の位い置ちに神しん殿でんを造つくっておまつりをしました。もれたご神体が発見されました。村の信しん者じゃたちはたいそ〔参考資料『福賀村郷土誌』〕ります。告つげの言葉の地と実じっ際さいの場所が同じであることが分かので、その山の前後には今でも清し水みずが流れていて、おという言葉は、神社があるところの山の形を言ったもまた「七なな尾お七なな谷や八はち尾お八はち谷やといい、前後に流れを見る」ています。これを見ても関かん係けいがあると考えられます。ませんが、神社側がわの字あざ名なを、今でも「松まつの木側がわ」と言っありました。当時あった松まつの木かどうかははっきりし大正の初はじめ頃ごろまで神社の境けい内だいに大きな松まつの木が二本碑ひに刻きざまれています。このことは大たいし正ょう十四年(一九二五)に建たてられた石せき認みとめられたということです。うやく明めい治じ四十四年(一九一一)独どく立りつした神じん社じゃとしてめたり、関かん係けいのある役所等にお願ねがいに回ったりしてよ59