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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

台の端の観音様とお地蔵様つられていた観かん音のん様さまを飯いい谷だに地区内で分けてまつることと仏ほとけ様さまを分けること)」が出され、このため台の端はなにまそれから明めい治じ二十年代になって「神しん仏ぶつ分ぶん離り令れい(神様三さん十じゅう三さん番ばん観かん世ぜ音おん菩ぼ薩さつ」として新しく建たて直されました。明めい治じ十年(一八七七)になって、札ふだ所しょの一つ、「西さい国ごく耳みみの命みこほとか三体があわせてまつられていました。真ま名な井い神じん社じゃにはこの掘ほり出されたご神体と、天あめの忍おし穂ほ金か(ね青せい銅どう)」で作られた観かん音のん様さまであると言われています。(一七二〇)頃ごろに発見されました。そのご神体は「からこにいったかわからなくなっていましたが、享きょう保ほう五年真ま名な井い神じん社じゃのご神体は山やま津つ波なみで埋うもれてしまい、ど台の端はなにある観かん音のん様さまのお話です。台だいの端はなの観かん音のん様さまとお地じぞ蔵う様さま見守ってくれているずっと昔から村を隣となりの栗くりの木に移うつりましたが、大田さんはこの栗くりの木しまいました。この桜さくのら木に宿っていた観かん音のん様さまの霊れいはが、大田さんは観かん音のん様さまの跡あと地ちにあった八や重え桜ざくをら切ってこの台の端はなの土地は大田さんという人のものでした区の集会所として使われていました。利り用ようされ、その後は昭和二十六年(一九五一)まで地(一九〇七)頃ごろまでは子どもに勉強を教える場所としては、真ま名な井い神じん社じゃのふもとに建たて替かえられ、明めい治じ四十年あったお堂どう台の端はなにました。つったりししょにま組内でいっ預あずけたり、に一体ずつた。各かく家庭になりまし60