ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

台の端の観音様とお地蔵様こわがりました。て、人々は通るのをると寂さびしさが増ましも薄うす暗ぐらく、夕方にな大木が茂しげって昼間で坂があります。昔は台の端はなにだらだらす。お地じ蔵ぞう様のお話でなお、別べつに子こ安やす観かん世ぜ音おん菩ぼ薩さつが石室にまつってあります。木もく造ぞうの一体と石いし造づくりの三十三体が安あん置ちされています。なり、昭和十年(一九三五)、今のお堂どうが建たったのです。た。そこで分かれていた観かん音のん様さまを集めてまつることにておまつりしたところ、病気はすっかりよくなりまし正十三年(一九二四)三月に観かん世ぜ音おん菩ぼ薩さつの石せき碑ひを建たてつきました。大田さんは重い病気を患わずっらてしまい、大も切ってしまったので、観かん音のん様さまの霊れいは大田さんにとり〔資料提供山本茂氏〕ふるまったものです。蔵ぞう様を運びこんでお祝いわいをし、その家ではごちそうをますように」と、若わかい人たちがおむこさんの家にお地じて、地区にお嫁よめ入いりがありますと、「よく腰こしが落ち着きまた、昭和の初はじめ頃ごろまでは、「腰こし付つき地じ蔵ぞう様さま」といっろ、その後はふっつりと言わなくなりました。そこで、新しくお地じ蔵ぞう様を作っておまつりをしたとこずきすりが出るぞ」といったうわさがたち始めました。ところが、葬ほうっむたところに「幽ゆう霊れいが出るぞ」とか「あました。坊ぼうさんをお地じ蔵ぞう様の置おかれているところに手て厚あつく葬ほうりむ人たちが看かん病びょしうましたが、亡なくなりました。人々はおお坊ぼうさんが、このだらだら坂で重い病気にかかり、村ある時、諸しょ国こくのお寺をまわりながら修しゅ業ぎょをうしてきた61