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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

宇生賀八幡宮旧跡とができるようになったということです。たところ、伝でん染せん病びょはうすっかり治なおり、みな元気で働はたくらこそこでさっそく、小さなお堂どうを建たてておまつりをしころ、氏うじ神がみ様さまのたたりであるということになりました。にかかるという災さい難なんにあいました。驚おどいろて占うらっなてみたとしばらくたって和田家のほとんどの人が悪い伝でん染せん病びょう開かい墾こんし、田んぼにしました。その後、坂さか根ねのお社やしろ跡あとの森は地主であった和田家がまつりました。ある時、このお社やしをろわけがあって、宇う生ぶ賀かに移うつしてりはこんもりと茂しげった森になっていました。昔、飯いい谷だにの坂さか根ねに八はち幡まん宮ぐうのお社やしがろありました。まわ宇う生ぶ賀か八はち幡まん宮ぐう旧きゅう跡せきおまつりする心が大切神様を敬うやっまて〔参考資料『福賀村郷土誌』〕ていたそうです。が輿こし守もりになり、十二、三名の人々が順じゅん番ばんで役目にあたっています。戦せん争そう前までは、祭礼の時には必かなずら飯いい谷だにの人れた人々からでないとお許ゆるしがおりなかったと言われまた、宇う生ぶ賀か八はち幡まん宮ぐうの祭礼の時の輿こし守もりは飯いい谷だにに生ま今でも、その時の小さなお堂どうはお社やしろ跡あとに残のこっています。66