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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

古戦場「大将陣」「茶臼山」あった吉よし見み公こうが陶すえ晴はる賢かたと争あらっそたことがありました。吉よし天てん文ぶん年間(一五三二~一五五五)に、津つ和わ野の城じょう主しゅでであったと言われています。そびえている茶ちゃ臼うす山やまとの対たい陣じん(敵てきと向かい合った陣じん地ち)きりと残のこっています。大たい将しょう陣じんの城しろ跡あとは、向かい合ってにも砦とり(で本ほん城じょかうら離はなれた小さい城しろ)を築きずいた跡あとがはっ上に城しろを築きずいた跡あとがあり、また中村地区後うしろ側がわ一体の山大たい将しょう陣じんは福田下、中村の北きた側がわにある山で、今でも山て争あらっそた跡あとが残のこっています。広げていました。福ふく賀がでも大たい将しょう陣じんや茶ちゃ臼うす山やまを戦せん場じょとうし力で領りょう域いきを支し配はいする大名たちが各かく地ちで勢せい力りょく争あらいそを繰くり今からおよそ四百五十年前は戦せん国ごく時じ代だいと呼よばれ、実古こ戦せん場じょ「う大たいし将ょう陣じん」「茶ちゃ臼うす山やま」戦たたいかの跡あと平へいおん穏な福ふく賀がに残のるこ〔参考資料『福賀村郷土誌』〕ました。それで「亀かめ山やま」と呼よぶようになったそうです。切り落としたところ、それ以い後ご、山の揺ゆれはおさまりが揺ゆれ動き、作業が進まないので亀かめを掘ほり出し、首をうとした時、山の下に大きな亀かめが住んでいて絶たえず山茶ちゃ臼うす山やまの一部を「亀かめ山やま」といいます。昔、城しろを築きずこ(一、二日の陣じん地ち)ではなかったようです。場ば」といった地名があることから茶ちゃ臼うす山やまの城しろは一いち夜や城じょう跡あとがはっきりと分かります。近くに「風ふ呂ろヶが浴えき」「的まともの平地となったところが見られ、人々が手を加くわえたて、今でも山上には幾いく段だんの見み泥どろと藤ふじ原わらの間にあっ茶ちゃ臼うす山やまは、今の森もり見み藤ふじ言われています。た陶すえ軍ぐんと一いっ戦せんを交えたとこもり、茶ちゃ臼うす山やまに陣じん取どっ見み公こうは大たい将しょう陣じんの城しろに立て68