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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

大井川第二発電所ができるまでぶ隧ずい道どう工こう事じでした。発電所工事を経けい験けんした人も少なく、この工事の中で一番難むずしかいのは二千メートルにも及およ始められました。発電所建けん設せつに必ひつ要ようなさまざまな調ちょう査さが行われ、工事が大正五年の春から川の測そく量りょにう取りかかり、一方ではで、地じ元もとの人々は大いに驚おどきろ、また喜よろんこだものでした。われることになりました。水が火に化けるということ長ちょ、う山口市山陽電気会社社長八や木ぎ宗そう十じゅう郎ろう氏しの発はつ案あんで行この工事は大正五年(一九一六)、当時の山やま口ぐち県けん会かい議ぎ化の発はっ展てんに大きく役立っています。須す佐さ、弥や富どみ、小川、江え崎さき方面へ電力を送り、経けい済ざいや文飯いい谷だにの大おお井い川がわ第だい二に水すい力りょく発はつ電でん所しょは、福ふく賀が、宇う田た郷ごう、大おお井い川がわ第だい二に発はつ電でん所じょができるまで多くの人の苦く労ろのう結けっ晶しょう便べん利りな生活は〔資料提供原田剛造氏〕です。かったことであり、新しい時代を拓ひらく大事業だったのした。今では当たり前ですが、それまでは考えられな所に近い堀ほり越こし、飯いい谷だに地ち区くに初はじめて電でん灯とうの灯あかりが灯ともりまこのようにして、大正七年(一九一八)四月、発電が、今でも見ることができます。た。縦たてに掘ほったトンネルは少し土ど砂しゃに埋うもれていますかめ、工事をやり直してようやく完かん成せいにこぎつけましそこで、縦たてにトンネルを掘ほって食い違ちがいの場所を確たしの中央部分で上下に食い違ちがいが生じていたのです。ていた技ぎ師しが図面をわずかに見み誤あやっまていて、トンネル態たいが発生しました。設せっ計けいを担たん当とうしか完かん成せい間近となった時、思わぬ事じ工事を開始して約やく二年、どうに苦く労ろうしました。わざわざ長野県から人を呼よぶなど70