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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

俊乗房重源上人集めて奈な良らへ送るために、重ちょう源げん上しょう人にんは徳とく地ぢ(今の山口ばる周す防おうの国くにへやって来ました。巨きょ大だいで質しつの良よい木もく材ざいを出す場所に選えらばれ、責せき任にん者しゃになった重ちょう源げん上しょう人にんは、はるなりません。周す防おうの国くに(今の山口県)はその木もく材ざいを切り必ひつ要ようになります。山の木を切り出して用意しなくては立りっ派ぱな大だい仏ぶつ殿でんを建たて直すには、良よい木もく材ざいがたくさん歳さいで、とても位くらのい高いお坊ぼう様さまでした。お勧すすめした高こう僧そうです。重ちょう源げん上しょう人にんはその頃ころすでに六十一「大だい仏ぶつ殿でんを元通りに建たて直しましょう」と後ご白しら河かわ天てん皇のうに時代の終わりに奈な良らの東とう大だい寺じが焼やき討うちにあった後、人にんが福ふく賀がに来られた時のお話です。重ちょう源げん上しょう人にんは、平安東とう大だい寺じ大だい仏ぶつ殿でんの再さい建けんに力を尽つくした俊しゅん乗じょう房ぼう重ちょう源げん上しょう俊しゅん乗じょう房ぼう重ちょう源げん上しょう人にん流は行やり病やまをい退たい治じ大だい仏ぶつ殿でんの材ざをい探さしがに来てした。しかもその病気は、家族や看かんび病ょうしている人に次々体にできものをつくり、食しょく欲よくもなくふらふらしていまい病気が流は行やっていました。大人も子どもも熱ねつを出し、ところが、重ちょう源げん上しょう人にんがこの地に着いた頃ころ、村には悪を探さがしにやって来ました。り出した方がいいだろう」と思いはじめ、福ふく賀がにも木集めるために、いろいろな山や林を見て木を選えらび、切ます。重ちょう源げん上しょう人にんはやがて、「もっとたくさん良よい木もく材ざいを大きな大だい仏ぶつ殿でんの建たて直しには、たくさんの木もく材ざいがいりたが、大きなさんありまし良よい木がたくた。徳とく地ぢには出させましに命じて切り選えらび、作業員に入って木を市)の山の中72