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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

仏坂の経塚とバクチ原いかだを組んで海路輸ゆ送そうすることになりました。を見つけ、これを伐ばっ採さいして、仏ほとけ坂ざかを経へて宇う田たの浦うらに運び、の山口県)阿あ武ぶ郡ぐんの宇う生ぶ賀か盆ぼん地ちでうっそうと茂しげる巨きょ木ぼく山ざん幽ゆう谷こくの間を巡めぐり歩いて良りょう材ざいを求もとめ、ついに長なが門との国くに(今重ちょう源げん上しょう人にんらの一行は全ぜん国こく各かく地ちの奥おく山やまに分け入り、深しん業が始められました。たわれていた俊しゅん乗じょう房ぼう重ちょう源げん上しょう人にんの手によって再さい建けんの大事らこちらで救きゅう世せい済さい民みんの事業を起こして非ひ凡ぼんな手しゅ腕わんをう再さい建けんの大事業が当時一世の大だい徳とくと仰あおがれ、全国あちました。いわゆる「南都焼やき討うち」と言われる事じ件けんです。重しげ衡ひらが放った業ごう火かによって東とう大だい寺じは焼やけ落ちてしまい平安時代末まっ期き、治じ承しょう四年(一一八〇)十二月、た平いらの仏ほとけ坂ざかの経きょう塚づかとバクチ原はら大きな木を動かした信しん心じんの心が94