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概要

未来へ伝えたい阿武の昔ばなし

一本松の地蔵たが聞き入れられず、どもの命いのち乞ごいをしまし母親が必ひっ死しになって子罪ざいです。あわてた若わかいの前を横切ることは重じゅう当時、お殿との様の行列ました。い子どもが急に飛とび出して行列の前を横切ってしまいされる時に、母親に連つれられてこの行列を見ていた幼おさな公こうがいらっしゃる萩はぎ城じょへう向かわれる途と中ちゅ、う宇う田たを通つう過かお殿との様さまがいました。ある日のこと、お殿との様さまが藩はん主しゅ毛もう利り昔、須す佐さ(今の萩はぎ市し)を治おさめていた益ます田だ弾だん正じょとういう一いっ本ぽん松まつの地じ蔵ぞう無む念ねのん思いを供く養ようかわいそうな母子の〔資料提供堀伝吉氏〕道のそばの線路わきに今でもひっそりと立っています。お地じ蔵ぞう様は高たかじ城ょう(西にし目めのところの裏うら山やまの畑)に行くのたたりを恐おそれて今も供く養ようを続つづけています。は今いま更さらのように人の怨おん念ねんの深さを思い知らされ、のちころ、工事の関かん係けい者しゃが相次いで死んだため、付ふ近きんの人々一いっ本ぽん松まつが工事の邪じゃ魔まになるということで切り倒たおしたとさらに昭和の初はじめ頃ごろ、鉄道が建けん設せつされる時に、このたと伝つたえられています。きな一いっ本ぽん松まつの下にお地じ蔵ぞう様を建たててねんごろに供く養ようし地区の人たちはこのかわいそうな母と子のために、大こえるなど不ふ可か解かいな出来事が相次いで起こりました。もの泣なく声や母親のすすり泣なきがどこからともなく聞それからのち、その付ふ近きん一いっ帯たいでは夜中になると子どをして相あい果はててしまいました。悲ひ嘆たんのあまり、その母親もその日のうちに入水自じ殺さつあわれにもその子どもは即そっ刻こく打ち首となりました。97