佐々木小次郎の墓

 

阿武町大字福田下、小字を小沢津といい、その山あいを寺ヶ浴と称します。ここは、慶長年間あるいはそれ以前から真言宗・正法寺という古寺がありました。
巌流島の決闘(慶長17年(1612年)4月13日)で敗れた佐々木小次郎の妻ユキはキリシタンの信者でした。当時懐妊中のユキは小次郎の遺髪を抱き、折柄厳しいキリスト教の禁令により多くの信者とともに山陰の地に安全な居所を求めました。
ユキは、この地の正法寺に身を寄せ剃髪して尼となり、夫・小次郎の冥福を祈り菩提を弔うために墓を建て、その墓のすぐ下のお堂というか庵で一生を終えたといわれています。この庵は正法寺が太用寺に移った跡地に、ユキ尼が小さい庵を建てたとも言われています。 我が子に対する因果応報の絆を断ち切るために、小次郎の名を「古志らう」と変えて墓に記したとの言い伝えです。 小次郎の墓と並んで佐々木姓の墓が多くあり、今も佐々木姓を名のる家が地区内に数軒有り、末裔かとも言われています。 小次郎の墓の上の段には六面石 一基があり、妻ユキが信じていたバテレン墓と思われます。その隣りには粟屋元吉公の墓がありましたが、昭和53年に太用寺の境内に移されています。



(2003年1月31日撮影)
佐々木小次郎墓所案内図
  お問い合わせ先
阿武町役場福賀支所
〒758−0611 阿武町大字福田下1365
TEL 08388−5−0211 FAX 08388−5−0213



コラム 雪の日に 佐々木小次郎の墓を訪ねて
 大河ドラマで話題の佐々木小次郎の墓が、阿武町にあると聞き、私は訪ねてみました。
2003年1月31日、この日は年に1度あるかないかというような雪が降った次の日でしたので、車の行き交う台数も少ない、一面の銀世界でした。
 

手作りの「古志らう墓所」と書かれた案内看板から、徒歩で歩きます。ここから、「200メートル奥」とのこと。
さぁ、行きましょう。



左手に、案内板が迎えてくれます。
この案内板もさきほどの手作りの看板も、「小次郎慕古の会」の方の手作りだとお聞きしました。
この会は、福賀の地に古くから伝わる佐々木小次郎の墓とその由来を研究し、墓周辺の環境整備等の管理や伝説を後世に語り継ぐことを目的に結成されたそうです。会長には森永徹道さんが努められて、会員の方が15名もいらっしゃるようです。 佐々木小次郎が地元の方に大変にしたわれているのことが、わかります。

春になれば、美しい田が広がっているのでしょうが、今日は、音もしない白一色の幻想的な世界が拡がります。昔もこのような風景だったのでしょうか。

この墓所への道も地元の方の手作りの道だとうかがいました。一歩一歩、小次郎へ近づいていきます。少々上り坂です。

「古志らう」の文字も確認できました。お供えしてある赤い花に雪が積もっていました。
巌流島のあの決闘模様を思いました。
ようやく、到着しました。佐々木小次郎に会えました。
佐々木小次郎の妻ユキが信じていたと言われるバテレン墓もそばにありました。
巌流島の決闘のあと、妻ユキは、どのように思いでここまできたのでしょうか。
1612(慶長17)年の巌流島の決闘と今の自分をつなぐことができた、小旅行でした。
みなさんも訪れてみては、いかがですか。
春になれば、楽しいハイキングコースになるのではないでしょうか。
また、津和野町と萩市の間に位置しますので、観光ルートに加えられたらいかがでしょうか。
詳しい案内図はこちらです。

YAB(山口朝日放送)巌流島ミステリー 武蔵が消した小次郎の真実より

 

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