ブックタイトル未来へ伝えたい阿武の昔ばなし
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未来へ伝えたい阿武の昔ばなし
明治維新で活躍した若者たちの長男・市いち太た郎ろうも益ます田だ家け宇う生ぶ賀か村むらの庄しょう屋や・上かみ村むら家ぐん進んだといいます。長ちょう州しゅう藩はんの隊たいの中央をぐん根こん性じょうを見せちゃろう」と「皆みな、ついて来い、阿あ武ぶの田だ豊ぶ前ぜん(兼かね通みち)は部下を率ひきいて戦たたかいに加くわわりました。戦せんが始まりました。この時、宇う生ぶ賀かの木き与よ村むら領りょう主しゅ・益ますで米国商船ペンブローク号を砲ほう撃げきし、第一次馬ば関かん攘じょう夷い幕ばく末まつの文ぶん久きゅう三年(一八六三)五月、長ちょう州しゅう藩はんは下しもの関せき阿あ武ぶの村人にも戦たたいかに参さん加かした者がいました。明めい治じ維い新しんでは多くの長ちょ州うしゅ志うし士したちが活かつ躍やくしましたが、明めい治じ維い新しんで活かつ躍やくした若わか者ものたち英えい国こくに渡わったた者…戦たたいかに参さん加かした者、〔参考資料『阿武町史』〕も、戦せん争そうや西せい洋よう技ぎ術じゅのつ導どう入にゅなうどに力を尽つくしたのです。幕ばく末まつから明めい治じへと時代が変かわる中、阿あ武ぶの若わか者ものたちンプと図面を日本に買って帰りました。もこれを使やあ、水くみが楽になるのお」と英えい国こくのポ年間ロンドンで暮くらしました。ポンプを見て、「阿あ武ぶで男・池いけ田だ梁りょう蔵ぞうは、明めい治じの初はじめに船で英えい国こくに渡わたり、約やく半さらに奈な古ご村むらで庄しょう屋や補ほ佐さ役やくを務つとめていた池田家の長寛かんも下しもの関せき戦せん争そうに参さん加かし、苦く労ろうしながらよく戦たたいかました。また萩はぎの寺に属ぞくし、福田村に住んでいた金きん峯ぷ昭しょう蔵ぞう宗しゅういう熱ねつ意いと、戦せん士しとしての才さい能のうに満みちた若わか者ものでした。「日本のために、阿あ武ぶのために力を尽つくす覚かく悟ごじゃ」と吉き部べ村むらで数十日間、西せい洋よう銃じゅをう撃うつ訓くん練れんを受けました。兵へい隊たいを集めた時にも、宇う生ぶ賀か村むらでたった一人選えらばれ、戦せん争そうにも参さん加かし、同じ年、阿あ武ぶの取り決めで農家からに雇やとわれて戦たたいかに参さん加かしました。市いち太た郎ろうは翌よく年ねんの下しもの関せき67