礒部製作所
すすで黒くなった作業場の壁や床。数々の使い込まれた道具たち。職人の魂が宿っている空間に、圧倒されます。この作業場の主である礒部満人(いそべみちと)さんは70年以上鍛治職人一筋。満人さんが作る切れ味のいい包丁は評判で全国各地から注文が届いていました。
平成22(2010)年には、「山口県優秀技能者」として県知事賞を受賞されました。
現在86歳の満人さんは、昨年、広島のお客様の包丁を研いだのを最後に、療養中です。しかし、礒部製作所には、いまだに満人さんの作った道具を求めて人が訪れます。
〈取材・ラボ研究員〉
写真:吉岡風詩乃、工藤茂篤 文:石田洋子
礒部製作所は、満人さんの祖父の代から営まれているそうです。
祖父、父、兄、満人さんと継いで来られました。18歳年上の兄は病気がちだったために、満人さんが早くから継ぐことになりました。
建物は150年前の祖父の代からあり、作業場の隣にはその当時使っていたであろう「鍛造機(たんぞうき)」が圧倒的な存在感を放っています。
満人さんは、9人兄弟(6男3女)の8人目。兄弟の中でも、特に鍛冶職人の才能があったのか、小学4年生のときには、ナイフを見よう見まねで作っていたそうです。17歳となった高校2年生の時には、本格的に鍛冶職人の仕事を始めました。
日本一の刃物の産地である大阪堺の職人が技術指導に来てくれたこともあります。満人さんの様子をみて、堺の職人はその才能を見抜き、彼はちょっと普通と違うので大事にするようにと言われたそうです。
雪江さんが満人さんの元に嫁いだのは、昭和33年。22歳のときでした。お二人は盆踊りで知り合ったそうで、当時としては、珍しい恋愛結婚でした。その頃の満人さんは、とても美男子だったそうです。
ご夫婦は、三人の子宝に恵まれ、お孫さんもいらっしゃいます。お孫さんは「じいちゃん大好き」。小さなころ、この作業場にしょっちゅう遊びに来ていたそうです。
満人さんとの一番の思い出について伺うと、とにかく仕事が大好きで本当に器用な人だったと雪江さん。「丹精込めて誠心誠意やっていたら怖いものは何もない」といつも言っていたそうです。
客から注文があれば、どんなものでも考え抜いて試行錯誤し作っていました。
魚をつくホコ、海女士がウニやサザエをかきだすための道具。イノシシの革を剥ぐための道具。タケノコを切るためのクワ。サメを切るための刃物……。
鍛冶屋の仕事は、型作りから。
同じ型のものを大量に作るわけではないから、儲かったということはほとんどないけれど、仕事が本当におもしろかったようです。
ナイフ1本作るにも、お客さまが使いやすいように、じっくり考えて作っていました。
中でも刃物が好きで、研ぐ技術を重視していたそうです。
遠方からでも、満人さんに研いでもらいたいとわざわざ来られる客が大勢いました。
作業台や作業場の道具もほとんどが満人さんの手作り。包丁を研ぐ木の砥石は昨年(2018年)に作ったばかりだったそうです。
仕事ばかりで旅行に行くこともほとんどありませんでした。唯一の趣味は、木を彫って木工作品を作ること。本当に“モノづくり”が好きなのですね。
こちらが、満人さんの木工作品。「趣味」の範疇を超えています!
一昨年までは、いろいろな道具を作っていたそうですが、昨年、脳梗塞に倒れてからは、療養中だそうです。記憶力は抜群で、持ち前の器用さでリハビリにも励んでいるそうです。
満人さんの作った包丁は全て売り切れており、大井公民館に展示するための包丁しか残っていません。
満人さんと親交が深い画家の堀晃さんはこんなメッセージを贈っていました。
「男がやるべきすべてのことを教えて下さりありがとうございました。」
「誠意に勝るものはない」と丹精込めて道具を作り続けてきた満人さん。
雪江さんは、今頃になってやっと「満人さんは本当にすごかった」のだと気付いたと笑います。